TRION NOTEブログ

2024-08-20
読みもの

【トライオンで働くヒト】トライフィルで活躍する大矢さん〈前編〉

【トライオンで働くヒト】トライフィルで活躍する大矢さん〈前編〉

バッグメーカーであり、野球グラブメーカーでもあるトライオンでは、大阪本社、フィリピンにあるトライフィル、ベトナムにあるトライベトを合わせて約30人の日本人が働いています。

工場で勤務するフィリピン人、ベトナム人を含めるとグループの従業員は総勢約1,800人。多様でユニークな働く人たちの手によって、私たちの製品は作られています。 そんな普段は表に出ることのない「トライオンで働くヒト」にスポットを当て、魅力をお届けするシリーズです。

シリーズ4人目は、バッグの生産現場であるフィリピンのトライフィル工場にて、材料手配をはじめ、通訳、開発サポート、生産・在庫管理、最近ではレディースブランドikotの海外販売営業など、多岐に渡る業務をこなす大矢さん。フィリピンで根を張り、日本とフィリピンの橋渡しを続ける大矢さんに、トライオンとのご縁やフィリピンでの生活に至るまで、幅広くお聞きしました。

フィリピンとのご縁のはじまり

フィリピンとの最初の接点は、高校時代に参加したワークキャンプでした。私は日本に生まれ、恵まれた暮らしに感謝しながらも、アジアの途上国がどのような状況にあるのかを知りたいと思い、参加しました。そこでフィリピンの人たちの明るさや人懐っこさ、人間らしさに触れ、「豊かさ」の概念を考え直す体験をしました。それは夏休みのイベントのようなものでしたが、現地では当たり前の日常が続いていることに気づきました。一過性の物珍しさではなく、長期的な国際協力や農村開発などに興味を持ち始めました。

その時はフィリピンという場所に大きなこだわりはなかったのですが、大学進学後に入った学生団体の活動場所がたまたまフィリピンのサマール島でした。「これは何かの縁やな」と感じ、卒業までの間、バイトでお金を貯めては毎年長期休暇をサマール島で過ごす生活を送りました。その直感は的中し、現在の夫と出会ったのもその村でした。

大学ではペルシア語を専攻し、イランにも1か月留学しましたが、女性の就職機会や遠距離恋愛中だった夫との距離を考慮し、長期留学先はフィリピンに決めました。1年のフィリピン生活で、フィリピン語と夫の母語であるワライ語を日常会話程度に話せるようになりました。

フィリピンでの就職

日本に帰国後も、通訳のバイトや日本に住むフィリピン人の子供たちの学習サポートをしていました。フィリピン関連の仕事を探しつつも、自分が本当に働きたい場所に出会えずに悩んでいたとき、大学の先輩から紹介されたのがフィリピンにある「まにら新聞」でした。

「まにら新聞」はフィリピン在住の日本人向けに発行されている日刊紙で、当時は日本の各新聞社OBが数多く在籍し、「ペンは剣よりも強し」という言葉通り、生粋のジャーナリスト集団でした。彼らはフィリピンの人々の視点から客観的な事実を伝えることを信条とし、人として素晴らしい先輩方に恵まれました。

約5年にわたる取材と記事執筆の経験を通じて、様々な分野で自分が興味を持つテーマを掘り下げ、現場で取材し記事にする仕事をしてきました。この経験により、フィリピンでの生活や社会についての深い知識、貴重な人脈を築くことができました。昼夜を問わずの仕事で適応能力も身につけ、足腰も鍛えられたと思います(笑)。

トライフィルとの出会い

まにら新聞は、日本の記者志望の人たちにとって短期修行の場でもあります。私もそこで5年間の経験を積み、その後はフィリピンで新しい仕事に挑戦しようと考えていました。当時フィリピンでは、労働人口の多数を占める高卒以下の人たちの雇用の受け皿として製造業の大切さが見直され、外国企業の誘致が進んでいました。そこで、フィリピン語を活かしながら、ものづくりの現場を学びたいと思い、日系メーカーで働くことを決めました。

最初に転職したメーカーでは、ものづくりの仕事の流れや各部署の役割、外部監査など、基本的なことを学びました。工場の新規立ち上げ時に通訳として参加できたことは、あらゆる部署の仕組みづくりに立ち会う貴重な経験でした。生産ラインから材料調達、生産計画、出荷、輸出入、経理、人事総務まで、ほぼすべての打合せに通訳として呼ばれ、日本語でも初めて聞く単語を調べながら必死でついていく毎日でした。

新鮮で面白い反面、毎日同じ時間に同じ人と会い、同じ服を着て同じことを繰り返す環境に、メンタルが追いつかず、半年も経たないうちにギブアップしてしまいました(笑)。日本に帰ろうかと悩んでいたときに大学の先輩に相談したところ、「同窓の大先輩が通訳を探しているから一度話を聞いてみて」と紹介してくれたのが、トライフィルとトライオンの会長(現在は相談役)との出会いでした。

尊敬する先輩が「最も尊敬する大先輩だ」と言っていたので、軽い気持ちでトライフィル工場に行きました。相談役は私の経歴に興味を持ってくださり、面接後に食事にも連れて行ってくださいました。普通に働いていて、80代の創業者と一対一で話せる機会なんてなかなかありません。若いころの話やエピソードを伺う中で、「郷に入っては郷に従え」の考え方や、「足るを知る」の感覚に共感し、この人が作った会社だったら長く働けると感じました。

浜風が吹けば甲子園球場の声援が窓から聞こえる土地で育った私は、正直バッグよりも野球に興味があり、「ファッション業界大丈夫やろか・・・」という不安もよぎりましたが、今回も直感で入社を決めました。学生時のバイトからそうですが、仕事のきっかけは全て、人からいただいた紹介やご縁で繋がっています。人の縁に恵まれ、本当に幸運です。


フィリピンでの出会いや、トライフィルとの出会いも、全てご縁や直感がきっかけだったと語る大矢さん。でもそれは、大矢さんのお人柄や行動力が引き寄せた出会いなんだな、と話を聞いて思いました。

後編では、トライフィルでの具体的なお仕事や、今後挑戦していきたいことなどを語ってもらいます。

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