TRION NOTEブログ

2021-11-26
読みもの

【トライオンで働くヒト】公私共に野球愛に生きる、片山さん〈後編〉

【トライオンで働くヒト】公私共に野球愛に生きる、片山さん〈後編〉

普段は表に出ることのない「トライオンで働くヒト」にスポットを当て、お届けするシリーズ。初回は、フィリピンの自社工場、トライフィルで野球グラブ企画開発を担当している片山さんについてお届けしています。

前編では、片山さんの熱い野球人としての活躍について。今回の後編では、トライオンで働く姿勢やこれからの夢について語ってもらいます。

>前編はこちら


作っているものへの愛着を

1955年ごろまでは、フィリピンはアジアで最も野球の強い国でした。

1954年にはマニラで第1回アジア選手権が開かれ、日本を破って優勝しています。日本のプロ野球にフィリピン人助っ人選手がいたこともあるんです。

でもその後、雨季が長い気候が屋外スポーツである野球にあまり適さなかったことや、道具にお金がかかることなどが背景となり、野球は根付きませんでした。野球を見たこともない人もたくさんいます。

この日は美しい夕暮れが見られました

工場で働く従業員の多くもそうでした。自分たちが毎日作っているものを手に取って使い、野球って何か知ってほしいと思った。

そこで、まず会社の球技大会でソフトボールを種目に入れたところ、好評に。プレー経験のある従業員数人とともに、まずはルール説明会から始め、トライフィルで働いている人であれば誰でも参加できるソフトボールリーグ「Kリーグ」を立ち上げました。

Kリーグの立ち上げ

社内に6チームが誕生し、自分たちで練習・試合日程を組んで週末に楽しんでいます。自分の家族にも何を作っているのか説明できるようになり、愛着を持って仕事へのモチベーションも上がっているのではないかと感じます。

Kリーグメンバーと

郷に入っては郷に従え―パスポートは日本人、心はフィリピン人

フィリピンに住む、となったときから、「郷に入っては郷に従え」という精神で暮らしています。

観光でも出張でもなく、住むんやから、フィリピンのことを知って、人・文化になじまないといけない。ゴルフをするより野球をしたいとも思っていたし(笑)、あえて日本人コミュニティには入らず、フィリピン人のコミュニティに浸かって英語も学びました。

フィリピン国民の多くがキリスト教徒

庶民の交通手段ジプニーや、トライシクル(サイドカー付きオートバイ)に乗ってみたり、昼食時も自分が普段業務で関わる以外の従業員と出会ったり、仕事以外の話をするふれあいの場にしたいと思い、食堂で一緒にフィリピン料理を食べています。

街中を走るジプニー
フィリピンの主食は、日本と同じお米

赴任前フィリピンのイメージは「暑い、危ない、怖い」でしたが、生活してみてフィリピン人のいいところに魅了された。

とにかく明るく、笑顔が絶えない。野球も楽しんでやる。生きる力を持っているというか、学ぶことがたくさんあると思いました。

オルモック市長 & 野球コーチ陣と

もちろん、仕事中やチームを強くするという意味ではもどかしいこともあります。時間にルーズなので練習がなかなか始まらない。とにかく家族優先なので「お母さんの誕生日なので帰ります」は当たり前(笑)。試合でも劣勢の時は具体的な対応よりもお祈り頼り。

日本的なものも大事ですが、あくまでここはフィリピンなので、こちらのやり方を押し付けすぎないよう気を付けています。特に注意するときは、人前では言わないようにする。

話し方も気を付けますが、距離感が近い分、懐に入りこめれば通じるようになります。パスポートは日本やけど、心はフィリピン人です(笑)。

やりたいことをやらせてくれる会社

「言霊」を大事にしています。

やりたいことや希望があれば、常に声に出して言うことで、それが縁につながって叶うことがある。

英語も話せなかった僕が、とにかくMLBに関わる仕事がしたくて、米国向けを担当したいと言い続けていたらチャンスをもらえた。

やりたいことがあればやらせてくれるのが、トライオンの社風です。フィリピンで様々な活動ができているのも、トライオンとの縁があったからこそ。

野球に関われる仕事ができてうれしいし、これからも担当しているブランドの仕事を続けていきたい。商売にあまり関連づけたくはないけど、野球競技人口が増えればグラブも売れる。野球がなくなってしまってはトライオンの商売も厳しい状況になる。

日本はじめ野球先進国の人口そのものが減っている今、新興国などで野球をやらないと競技人口は減る一方です。フィリピンの野球発展、また世界野球人口増加などに少しでも力になれればと思い、フィリピン野球のサポートを継続しています。

セミプロリーグ復活、野球場建設-止まらない夢

コロナ禍の中、世界でも最も厳しい防疫規制を敷いてきたフィリピンでは、野球もオンライントレーニングのみに制限され、再開の目途は立っていません。

それでも将来の実現に向けて動いていることは多々あります。今後の目標としては、2022年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)予選に向け、コーチとしてチームを再編すること。日本やアメリカで活躍するフィリピンにルーツを持つ選手にフィリピン代表への参加を呼び掛けています。

同年開催予定の、アジア版オリンピック、アジア競技大会に向けた代表チームの強化、23年のU18アジア選手権に向けたU18代表チームの準備、19年にアジア選手権で3位と躍進した女子野球代表チームの強化サポートも実施します。

野球・ソフトボール教室で女子ソフトボール選手を指導

将来的にはセミプロリーグを復活させ、テレビ中継やスポンサー企業が入るようにして、野球を根付かせたい。そこから、フィリピンで生まれ育ったフィリピン人の日本プロ野球選手、MLB選手を誕生させるのが大きな夢です。

野球場を新しく作ることも夢の一つ。これからも好きな野球に関わっていきたいと思っています。


〈編集後記〉

「フィリピンに面白い社員がいるよ。」

私が入社当時から、周りのスタッフからこんな風に聞いていたのが、片山さんでした。

今回の取材で改めてじっくりお話を聞き、想像以上の行動力に驚かされました。

片山さんは「やりたいことを口に出して言ってたら、たまたま運良く色々進んで、自分は本当にラッキーや」と、笑っていましたが、それは片山さん流の照れ隠し。

言ったことを実行する努力を惜しまず、やることに対しての責任感もきっちり背負う。
そんな姿勢に、一社会人として尊敬するとともに、同じ社員として誇らしく思いました。

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