TRION NOTEブログ

2020-06-18
読みもの

【モノづくりの現場から】フィリピン便り vol. 1

【モノづくりの現場から】フィリピン便り vol. 1

トライオンのすべての商品は、フィリピンにある自社工場、トライフィル(Tri-Phil International, Inc.)で作られています。メーカーとしてのモノづくりを支える生産現場から、誰が、どんなところで、どのようにバッグを作っているのか、商品が生み出される背景と現地の息づかいをお届けします。

生産地、フィリピン

東京から直行便で空路南へ4時間、東南アジアの島国、フィリピンに到着します。
年間の平均気温は26.5度。1年通してほぼ半袖で過ごすことができる常夏のこの国は、7,000を超える大小の島々から成り、セブやボラカイ、エルニドなど世界有数の美しいビーチと海で知られています。

南国気質で陽気なフィリピンの人々はホスピタリティに溢れ、明るい笑顔が印象的です。
カトリック教徒が大半を占めることもあり、家族をとても大切にし、助け合いの精神が根付いています。

トライフィルが位置するのは、マニラ首都圏の南端、モンテンルパ市です。
空港から車で高速道路を30分ほど。都心の喧騒からは離れつつも、公共交通機関や商業施設は充実しており、地方と都市をつなぐマニラの南玄関口です。

お母さんに抱かれた赤ちゃん、道端をビーチサンダルで走り回る子どもたち、制服姿の小中高生―。
街を歩くと、とにかく子どもが多いことに気がつきます。

フィリピンの人口ピラミッドはきれいな末広がりで日本とは正反対。平均年齢48歳の日本に対し、24歳と若い労働人口が豊富で、街中が活気に溢れています。労働力に魅力を感じ進出する日系企業も多く、駐在員や移住者など約2万人の日本人が暮らしています。
戦前には日本からフィリピンに出稼ぎに来た日本人も多く、歴史的にも深いつながりがあります。

野球グラブから始まったバッグ作り

トライフィルは野球グラブの生産工場としてスタートしました。
1987年の設立以来、アメリカ、カナダ、日本、ヨーロッパ向けに、野球、ラクロス、アイスホッケーのグラブを生産しています。誰もが知る名だたるブランドに向けて作られた製品は、草野球からメジャーリーガーにまで愛用されています。

日本では職人が作ってきた野球グラブ。
同レベルの品質をどのようにフィリピン工場で実現するかがカギだった設立当初、日本の職人6人が指導者として派遣され、野球を見たこともプレーしたこともないフィリピンの工員さんたちに丁寧に技術を伝えていきました。

そして、その技術とグラブレザーを生かし、新たなモノづくりとして「バッグづくり」が始まりました。
グラブと同じく、バッグ職人も日本から駐在し、トライフィルで「トライオン」の前身となるオリジナルバッグブランドを立ち上げたのが1995年。

3年後の1998年に今の「トライオン」が誕生しました。

「DOCUMENT」シリーズの生みの親である寺田為彦氏(詳しくはこちら)との出会いをきっかけに、シンプルなデザインと機能美を追求した「道具としてのバッグ」というコンセプトも、その頃確立されました。

しなやかで丈夫、使うほどに味が出てくるグラブレザーの使用や、グラブ製造の特殊な技術を転用した構造など、他にはない「トライオン」オリジナルのバッグ作りは、世界有数のグラブ生産現場がいつも隣にある、トライフィルだからこそ生まれたと言えます。

フィリピンとの縁と定着

設立前の1980年代半ば、日本の円高不況でさまざまな危機に直面する中、海外に生産拠点を求め調査を始めたところ、縁があったのがフィリピンでした。

その頃取引のあったアメリカの手袋メーカーの工場がフィリピンにあり、また当時フィリピン初の野球グラブ工場に材料供給で協力していたことから、なじみが深い土地でした。

また、フィリピン人工員の縫製技術が高く評価されていたことも後押しとなりました。

グローブもバッグも、革という天然の材料を使い、生産工程のほとんどを今でも手作業が占めています。
サンプル作りから生産、出荷まで、多くの人の手に触れ、人から人へ渡って初めてできる商品です。

仕事の仕組みだけではなく、働く人、工場があるフィリピンの習慣や文化を含めて地域、人間に根付いたビジネスを続けていくということを大切にしてきました。

トライフィルは今年で設立32年を迎えます。時代の流れに伴って柔軟に変化しながら、時間を超えて愛される商品をこれからも作っていきます。

モノづくりの現場から vol.2 はこちら